田中啓文


「おっさん、行ったらあかんて。火事やねん。向こう行ったら焼け死ぬで」
「かまへんねん。どうしてもわしは行かなあかんのや」
「危ないちゅうとんねん。死ぬ気かいな」
「アホ抜かせ。わしはあそこに行って……ホトケになるのや」
「ホトケ、てなんや」
「知らんのか。天竺に行ったらどんなしょうもない人間でもホトケになれるのや。わしみたいなごつくぶしでもホトケになれるらしい」
「ごつくぶしやのうてごくつぶしやけどな。あそこは天竺やないで」
「とにかくわしはこれまでめちゃくちゃやってきた。親にも兄弟にも別れた嫁はんにもこどもにも地獄を見せてきた。そんなわしがホトケになれるのや。とめるな、ドアホ」
「とめはせん。ホトケになりたかったらなればええがな」
「わかってくれるか。おおきに。おまえも一緒にホトケにならんか」
「わては遠慮しとくわ。まだ、この世でやらなあかんことも多いからな」
「そうか、おまえらもたいへんやな。ほな、わしは行くわ。さいなら」
「ああ……行ってしもた。あらあらあら……じゅっ、ていうて黒焦げや。なんまんだぶ……。せやけど最近、なんやようわからんけど、ホトケになりたい言うて火のなかに入っていく人間がやたら多いな。政治がどうこう、国がどうこういうけど、わてら猫には関係ないからな。こんな風な白い道ついてるとこ行ったらろくなことはないねん。なあ、そう思わんか」






田中啓文
小説家